NPO法人 国際ホースバックアーチェリー協会
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ホースバックアーチェリーの歴史
― 中央ユーラシア ―

狩猟に出かけるモンゴル騎馬民 古来、モンゴルを中心とした中央ユーラシアの大草原地帯では幾多の騎馬遊牧民族が現れ、隣接する大国との覇権をめぐって激しい攻防を繰り広げてきました。彼らの機動性に優れた騎馬戦法の脅威は、歴史に数多くの痕跡を残しています。

  中央ユーラシアにおける騎馬遊牧民族の起源は定かではありませんが、史上最も古い騎馬遊牧民族はキンメリア人や、スキタイ人といわれ、紀元前7世紀頃の記 録に登場します。彼らの騎兵は軽装で、主な武器は弓矢でした。特にスキタイ人は騎射に優れていたことが伝えられています。

  前4世紀頃にはモンゴル高原の匈奴など、互いに類似する文化を持った数多くの騎馬遊牧民族が現れます。彼らに共通する特徴のひとつとして、「弓矢を主要武 器とし、全員が騎士である」「塞外の遊牧民である匈奴は、幼くしては羊に跨り(またがり)弓を引き、小さき獣を射、成長すれば馬に乗り大きな獣を射る」 (史記)などと伝えられ、いずれも騎射術にたけていたことがわかります。

 やがて、こうした騎馬遊牧民族の騎射を中心 とした騎馬戦法で軍事化が進んでくると、戦国時代(前403年〜前207年)の中国諸列国ではその脅威に対抗するために、北境に長城を築いたり、趙の武霊 王が「胡服騎射」といった逆に騎馬遊牧民族の騎射に適した服装や騎射戦法を採用して、自国の戦力を 飛躍的に向上させたといわれています。

 13世紀にはモンゴルの騎馬遊牧民族からチンギス・ハーンが現れ、史上最大の大帝国を築くのですが、その原動力となった騎馬戦法のなかにも、高度な騎射の技術があったことが知られています。

 つまり、騎馬遊牧民族にとって騎射は騎馬戦法の主力であり、言い換えれば、彼らの一矢、一矢が、中央ユーラシアの歴史を綴ってきたといっても決して過言ではないのです。

  その後、モンゴルにおける騎射の技術と伝統は、銃火器の導入などによる戦術の変化を受け大きく衰退し、僅かにナーダムでの弓射競技のひとつとして続けられ てきましたが、17世紀末、清朝政下では軍事演習につながると警戒されたため禁止となり、ここでモンゴルの騎射は完全に消滅してしまいます。

 しかし、そうした政治的干渉を受けなかったハンガリーやブリヤートなどの周辺民族の間では、現在も脈々と騎射の伝統は継承されており、往時の姿を現代に伝えています。

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